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美唄の学校:学校の移りかわり
記事ID:0001248
更新日:2023年1月18日更新
学校の移りかわり
美唄市は明治23(1890)年沼貝村として誕生して130年あまりが経過しました。
当時の人口は1,087人でしたが、大正時代に炭鉱開発が始まり3万人を超えて美唄町と改称されました。
やがて、昭和25(1950)年に市制が施行された後、昭和31(1956)年には92,150人となり人口のピークを迎えました。
炭鉱開発による人口増加により多くの学校が開設され、ピーク時は小学校22校、中学校10校が開設されました。
とりわけ、三井美唄小学校は全道一のマンモス校として3千数百人にのぼる生徒がひしめくように学んでいました。
教室から生徒が溢れるほどの賑わいも、やがて、エネルギー革命による炭鉱閉山や少子化などのため、人口減少の一途をたどり、令和5(2023)年1月現在の人口は19,500人となりました。
それにともない小中学校の閉校、統合が行われ、現在は小学校2校中学校2校となりました。
- 小学校の移り変わり
変遷図PDFファイル [PDFファイル/96KB] - 中学校の移り変わり
変遷図PDFファイル [PDFファイル/54KB]