近年全国各地から、湖沼底や河川に残存する鉛散弾や釣り錘を、水鳥がグリッド(消化を助ける小石)として採取することによって、鉛中毒をおこし死亡する例が少なからず報告されている。
 これは、1989年に宮島沼で起きた白鳥の大量死亡が、北海道大学獣医学部によって鉛中毒によるものと判明してから、関心が高まり死亡鳥の全国的発見度が進んだためと思われる。それ以前から宮島沼及び周辺の手形・親子沼では死亡白鳥が発見されていた。これらの鳥は、死亡に至る病みの症状から見ても明らかに鉛中毒によるものであったと判断して差し支えないと思われる。
以下に、春季における白鳥を主とした水鳥の落鳥状況をまとめてみた。
 沼開け以前の死亡例(1992年4月2日)のように、ここに飛来する以前の越冬地または中継地で鉛を採取してから飛来し、宮島沼で発病したと考えられる事例発見もある。
 石狩川沿線湖沼地(奈井江町茶志内沼、浦臼町浦臼沼、新沼、砂川市袋地沼、月形町月ヶ湖等)でも、多くの白鳥死亡事例が発生する。宮島沼等中継地での滞在は約一ヶ月だが、越冬地での滞在は約五ヶ月であることから全国の落鳥総数は大きな数字であると考えられる。
 宮島沼での落鳥が目立つのは、沼の鉛汚染が特に酷いというわけではなく単に発見率が高いからに他ならない。保護色のため見出せない雁や鴨の被害も、実際には多いものと推測される。
 なお、残留散弾皆無のシベリアから来て直ぐの秋季には、滞在も短いので殆ど落鳥が無い。
 (1) 宮島沼における水鳥落鳥数 (羽) 〔春季〕                                 表21
  《マガンの大量死考》
※1  1984年年秋は好天に恵まれて、餌場となる水田の収穫が異常に早く終わった。田では藁が焼かれ秋耕しが
   行なわれた。結果、よく85年春には、雁の餌となる落ち籾が極端に不足して、雁も白鳥同様に、沼の水草
    を採食した。また、強力な農薬が使用されてもいた。
※2  1989年春の33(34)羽にものぼる白鳥大量死で、この秋、北海道猟友会は宮島沼での鴨銃猟を全面的に自粛
   した。そのため、他の湖沼から雁鴨類が『駆け込み寺』的に沼に逃れて集まり、餌場の落ち籾を食べ尽くした。
   翌年春、マガンは、餌不足を沼の水草で補ったことが鉛散弾の摂取につながったと考えられる。1991年以降は、
   沼辺への小砂利散布と雁群自身の餌場拡大によって、沼での採鉛は少なくなったと思われる。しかし、飛来数
   の増加に伴い依然として落鳥が後を絶たない。
※3  1997年春季犠牲白鳥が増加したのは、沼の水位が低下したことにより、沼底に首が届きやすくなり残留鉛散弾
   を摂取することになったのかも知れない。
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