1993・97年例                                             (図46)
食害第一期 雪融け直後に発生する食害を指す、マガンが常用する餌場水田地帯では、麦畑が転作さ
れていると一刻も早い雪除去を目的に融雪剤が散布される。雪原中にそこだけ露出した麦畑が、マガ
ンのターゲットにされる。未だ麦芽が動いていないのと、群れが小さいので被害は多くない。
食害第二期 北帰直後の頃には餌場の水田が乾いてくる、そして春耕にも始まればマガンは餌の落ち
穂を拾えなくなってくる。伸び出した麦芽は、恰好の餌と認識され、雁は麦畑で採食休憩をするよう
になる。この時期のマガンは、数千羽の群集団を構成する傾向があり被害も大きくなる。
(3) 食害の事例
 秋の食害で、最も大きな被害を受けたのは、あの、日本全国をパニックに走らせた米危機の1993年
でした。雁は、見通し悪い立ち稲田には降りることが出来ない。大幅に遅れた稲刈りが始まったのは
、10月5日頃からだったので、9月末から渡ってきたマガンは、いつもの餌場を探して少ない面積の麦
畑を集中的に狙った。沼東方500mにある、出芽したばかりの小麦畑数枚は壊滅した。また遠く開発
沼の内、北美唄町などの8号線沿いに広がる麦畑を襲う結果となった。
 秋季、宮島沼が実質銃猟禁止になってから、数を増した夜行性の鴨は、雁と同じ餌を採って食害を与
えていても人目につかない。万を越す鴨類の長期間滞在は、翌春にマガンが予定している田圃の落ち
穂を確実に減らしている。これは、雁による春の食害を、結果的に助長することになってもいる。
 (4) 餌場内での水田転作例(1984年10月調べ)           (図47)
 水田の約40%(塗り潰し部分)が、転作麦芽に換わっていた。
 1990年代に入ると、農政転作緩和化で復田が進められて、その結果は麦畑食害が殆ど無くなった。
WTO関連で、再び水田が麦畑に変えられるような農業政策が執られ、食害も顕著になって現在に
至っている。
《食害地図》
(1) 1991年春季例 (別紙地図F) 北帰直前には、大きな群れとなり麦畑を襲う傾向が見られる。
(2) 1997年春季例 (別紙地図G) 沼近くでは、釣り糸張り等での防除が働き、雁は北村や上美唄
                  方面の無防備畑に向かっていった。
(3) 1997年秋季例 (別紙地図H) 秋の被害は、さほど多くない。
目次に戻る