Ⅸ マガンのえさ場の利用状況
  雁が好む餌場(えさば)の特徴とその変遷
 1980年代のマガンの主な餌場は、美唄市西美唄町と上美唄町
及び道路を挟んで人為的に区別しただけの、雁にとっては同じ
空間である空知郡北村豊正、中小屋であった。雪融けの春早く
雁が最初に降下する水田は、旧美唄川の先端他に近い上美唄町
1区であった。強い春の日差しは、1日に1区画つまり西側に
多くなっていた積雪を融かして約五百メートルづつ田の雪を消
していった。雁の群れも、それを追うかのように移動して凡そ
の10日で宮島沼近くに達していたのであった。雪融け前線を雁
辿る、これは、現在に至っても基本的に変わらない彼らの行動
である。家族単位で行動する雁たちは、餌場の記憶認識も親か
ら子へと学習することで伝えられる。標識雁等の個体観察では、
毎年大体は同じ餌場を同じ群れが利用していることが知られて
いる。その傾向を右の略図で見ることが出来る。
1984~7年春季 標識雁等の群別の行動範囲
 1980年代半ばには、農政事情から水田の転作がその約4割にも進んだ。必然的に、雁が餌場を失うことになり、転作麦畑に伸び出し
た青い麦芽を食害することになった。しかし、転作緩和の転換農政で、宮島沼周辺の常用の餌場に水田が復活した。同時に、あれほど
問題になっていた酷い食害も全くと言って良いほどに消滅した。1990年代半ばになると、再び転作麦畑が増え出して、それに従い食害
問題が顕在化して現在に至っている。ついでに言うならば、最も効果的な麦芽食害防止法は、転作を止め水田を維持することである。
   (1)1982~7年春季
 地図Aは、1980年代に観察されたマガンの採食地出現頻度である。●点が、地形的に元は泥炭低湿地だったところや沼池周辺に密集
していることを見ることができる。
   (2)1991・3年春季
 1990年代に入ると、地図Bに見られるように、数を増した為が雁は旧美唄川を越えて東方に進出しだし、更に南方及び北方に餌場を広
げ出した。(1区画内に雁降下したところに●点を1個付す、方眼1区画は、540m×540mで約30haの広さである)
   (3)1993年秋季
 1990年代は、沼の実質禁猟区化で、秋季にも雁が春同様に同じ地帯で長期に採食するようになった。またこの年は冷害稲刈りが約1
カ月も遅れ、秋に麦芽への食害が発生し場所によっては重大な被害を生じた。(地図C)
  (4)1995年秋季
 地図Dにも、春季同様の雁の採食地傾向が現わされている。
  (5)1997年春季
 地図Eを子細に見れば、雁が雪融け前線を追いながらその群れの数を増加してることがわかる。昔から代々受け継いできた雁の常用餌
場は今でも基本的に変わらないのだが数を増し秋にも滞在することで餌場は確実に広げ出してきた。その年の雪の積もり具合にもよる
が、早い雪融け地を探して南は南幌や長沼、北には50kmも離れた秩父別方面までも遠出する群れを見ることもある。
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