名の由来  明治開拓の頃、石狩川の蛇行で
 袋地となっていた内側を、 新潟出身の宮島左
 次郎氏が払い下げを受けて開拓農場(1892 年)
 としたそこは、月形町の皆楽公園の池となって
 いる旧石狩川の残存湖の南側、現在の月形町
 新生地区である。今は、 川のショートカットで
 仕切られて考え及ばないほどの隔たりをもって
 いるが、当時は宮島農場に隣接した大沼を、
 いつしか人々は宮島沼と呼ぶようになった。
 泥炭とは?  宮島沼の成因は公式には不明と
 されている。半世紀も以前には、沼に入れば足裏
 に砂利を感じたものであった。土地の古老によれ
 ば、以前には炊飯に使うほどの澄んだ湧き水もあ
 ったし、馬を沼に入れて洗ったりもしたという。
 沼のあたりの地盤は、泥炭地からなる。泥炭は、
 炭という字がついていても炭ではない。秋に枯れ
 た草が水に沈んで腐らないために、それが何年も
 積み重なって出来た植物遺体の集積物である。
  沼辺は、主にキタヨシからなる低位泥炭が多く
 を占めていた。北西側の疎林に接するあたりは、
 うっかり踏み込めば足が沈んでしまいそうな不安定
 な沼の岸辺であった。そこにはミズゴケからの高位
 泥炭で出来た浮き島的な感触で、中には典型的湿
 性植物のモウセンゴケも牛育していた。
 不思議な橋の話  宮島沼の東側辺りや西美唄
 小学校近くには、道路よりも高く飛び出たような
 「橋」みたいなものが用水路に幾つか架かっている。
 これは、本来は橋であった。造られた時には、道と
 田畑の間の溝を跨いで渡るという立派に橋の用を
 果たしていた。そこが泥炭からなる湿性土地ではそ
 のままだが、側溝を掘ることで水が抜けると泥炭の
 体積が小さくなり、道路も田も地盤全体が沈下する。
  しかし、基礎が岩盤まで届いているコンクリートの
 橋だけはそのまま残されてしまうから、今はまるで
 飛び出てしまった、泥炭地特有の珍現象なのであ
 る。泥炭地に舗装された道路では、 飛ばしすぎの
 車がバウンドして車内の人が天井に頭を打ち痛い
 目をするのも、 同じ現象で生じた道路の『コブ』が
 その因 となっている。