● 宮島佐次郎さんの入植

宮島沼は、その昔、単に「大沼」と呼ばれていました。明治24年、宮島佐次郎氏が、新潟県から石狩川のほとり(現在の月形町新生)に入植しました。そして、明治30年には、宮島沼の南岸から樺戸道路にいたるまでの31ヘクタールの土地の払い下げを受け、小作人6戸と共に開墾に着手しました。時には腰まで沈む湿地帯で、背丈を超える密林笹藪を切り開く過酷な作業だったそうです。
宮島さんは、本格的な稲作を目指していましたが、主な作物は大豆、小豆、エン麦などでした。明治37年には、石狩川の洪水で壊滅的な被害を受け、その後も冷害や病虫害の被害が重なり、宮島さんの土地も人手に渡ってしまいました。そして、宮島沼の名前だけが後に残されました。

● 開拓時の宮島沼

開拓時の宮島沼は、周囲四里四方と言われ、形状はほぼ円形、水は湧き水もあり透明で、飲料水としても利用していたようです。また、沼のそこも砂利などがありしっかりしていて、馬を洗うこともできたそうです。大正期から造田が進み、水は茶褐色となり、沼も縮小してしまいました。
開拓期の石狩川(上)、明治の開拓(左下)、戦後の開拓(右下)
戦後の原野開拓~泥炭起こし
←戻る